2014年4月29日火曜日

佐賀というより、そのラインナップで九州を代表する映画館CiEMAで、曽我部恵一 ソロライブ「愛のような」と、佐賀シネマクラシックス2014で曽我部さんセレクトの『復讐するは我にあり』を観てきた。

ライブ前に腹ごしらえで、Sさんに教えてもらっていたいくつかの候補からピックアップするも休みで空振り。別のお店をぼちぼちと探す。

それにしても、祭日にもかかわらず、佐賀中心街はあまりにもひっそりとしている。交通の便の発達で福岡まで近いゆえのベッドタウン状態なのだろうか。あるいはモータリゼーションによる郊外化でショッピングモールには人が多いのだろうか。はたまたその両方だろうか。中心街の空洞化がこれほど顕著にあらわれている姿をまざまざと見せられると、いろいろと考えさせられる。などと思索に耽っていたら、目の前に飛び込んできた「中央マーケット」の文字。


この中に、教えてもらったおすすめの店があるという。おそるおそる足を踏み入れて目に入ってきた「TERRY'S」の文字。今度は開いているのを確認して入店。


カウンター6席だけというかなりコンパクトな空間は新宿ゴールデン街などを思わせる。さほど高くない天井に張り巡らされたポスターやチラシ、積み上げられた本は村上春樹という文字が目に付く。壁にかけられた絵は先日亡くなった安西水丸の作品のように見える。落ち着いた隠れ家的なシブい雰囲気は、とても建物の外観である中央マーケットの中とはとても思えない。

メニューはなく、本日の定食のみ。チーズがはいった豚しそチーズのフライにご飯と味噌汁、大根の煮付け。これが味もよく、フライはカリッとしていてかなり旨い。
食後のコーヒーも含めて、600円というリーズナブルさにまた驚く。

村上春樹の本が積まれているせいもあって、村上春樹の初期三部作に出てくる「ジェイズ・バー」って、こんなお店なのかなとか、料理も美味しかったと言われている村上春樹がやっているジャズ喫茶「ピーター・キャット」を連想させた。きっと夜はバーなのだろう。いつか夜にも訪れてみたいお店だ。


些か時間がなくなったので、慌ててCiEMAに飛び込む。
すでに開場の時間になっていて、後方にある丸椅子に座る。新宿ロフトプラスワンのイベントには行ったことあるが、ライブははじめてだ。高校生の時にサニーデイ・サービスを聴き続けていた僕にとって、曽我部恵一の声は“青春”そのもの。ソロの1作目はけっこう聴いたが、それ以降は内省的に感じることもあったり、一方でロックに突き進んだ曽我部恵一BANDを結成したりと、その時々によって食指がのびなかったりしていたものだが、こうしてソロライブとしてギター一本で生で聴いているとむき出しの曽我部恵一を感じられて、とても沁みた。
近年の新作を中心に半分ぐらいは知らない曲もあったが、サニーデイ時代のナンバーはやはり盛り上がる。特に好きなアルバム『MUGEN』からのナンバー「江ノ島」をやった時は「おぉっ!」と声を出しそうになった。

二度のアンコールの後、終演後にサイン会まで開くというサービスぶり!しかも写真まで一緒に撮ってもらった。まさに感激で、高校時代の自分が観ても歓喜するに違いない。サニーデイとソロの曽我部恵一との違いって何だろうと考えていたが、購入した『曽我部恵一 BEST 2001-2013』の自身による解説に、「バンドをやめてひとりになったとき、音楽でドキュメンタリーをやろうと思った。」という一行に、なるほどと腑に落ちた。一時期離れていた時期もあったが、これからも曽我部恵一を追い続けてみたいと思う。


曽我部さんセレクトだし、しかもフィルム上映ということもあって、今村昌平『復讐するは我にあり』('79)を観る。最初に九州を代表する映画館と言っておきながら、CiEMAで映画を観るのは実ははじめて。
タイトルはとても有名だが、この作品自体、観るのもはじめてだった。とても緊張感漲った作品で、狂気と血の繋がりの濃い父と子の対立、許されない男と女の愛がまるでむき出しになったような、ヒリヒリとするとても強烈な映画だった。原作は実際に起きた西口彰事件を題材にした佐木隆三によるノンフィクション・ノベル。

不勉強ながら最近は聞かなくなった気がする“ノンフィクション・ノベル”という呼称。実際の事件を元に関係者などに取材を重ね、それを小説という形に落としこむ。トルーマン・カポーティの『冷血』が最初とされていて、本作もその影響下にあるという。

緒形拳の鬼気迫る演技、対する存在感のある父の三國連太郎、倍賞美津子、小川真由美と脂の乗りきった俳優陣の熱量がこちらにも伝わってきて一切気が抜けない。

この時期はドキュメンタリー作品を撮っていたという今村昌平のドキュメンタリーテイストな画面が臨場感を否が応でも感じさせる。そして、演出撮影助手には、あの『ゆきゆきて、神軍』の原一男も参加している。

犯行や行った行為には決して共感はしないが、犯人がどこか魅力的に感じるのは犯罪映画を観た時に抱く感想なのかもしれないが、それは我々の誰しも大なり小なりある抑圧を主人公は開けっぴろげに開放して好き勝手にやっているところなのだろうか。

また、その犯行が敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ育ち、信仰に背くような生き方を遂げる、息子と父の濃く深い血の繋がりも見どころだ。タイトルの『復讐するは我にあり』は新約聖書に出てくる一文でもあるという。

映画の大筋とは逸れるが、福岡や大分の鉄輪温泉や長崎の五島が出てくるわ、濃い訛りの九州弁が飛び交うわで、昔の日本映画で当時の風景や風俗を観るのが好きなので、そういうところもとても響く“九州映画”だった。

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